プロジェクトストーリー | 01

高い技術と強い想いが結集した
国内最大規模のベルトコンベヤ設備。
陸前高田市の復興を目指して。

高い技術と
強い想いが結集した
国内最大規模の
ベルトコンベヤ設備。
陸前高田市の復興を目指して。

2011年3月11日、東日本大震災が発生。岩手県陸前高田市は、津波による大きな被害を受けた。この被災地復興に際し、国主導で実施されたのが、「高台移転計画」だ。この壮大なプロジェクトに対し、古河機械金属はプロジェクトの要となる機械設備の建設・運転・管理を担当。全長約3kmにも及ぶ、史上最大規模のベルトコンベヤ設備はいかにして実現され、被災地にどのように貢献したのか。このプロジェクトチームにて業務に携わっていたF.Aに、当時の話を伺った。

PROFILE

  • F.A
  • コントラクタ本部
    技術部 技術課
  • 2012年入社 |
    工学研究科 人工システム科学専攻

学生時代に学んだ機械工学の知識を生かし、大型機械を開発する仕事に就きたいと思った。当社を選んだのは、社会インフラを支える製品が数多くあることから。東日本大震災が発生したのは、まさに就職活動の最中。2012年に入社し、産業機器設計課でミルの設計に携わるも、同年12月にはベルトコンベヤグループに異動となり、陸前高田に設置するコンベヤのプロジェクトチームに参加。自分が復興に関わるとは想像もしていなかったという。2014年に陸前高田の設備が竣工してからも、多様なコンベヤ設計に従事してきた。

chapter 01

史上最大級のベルトコンベヤ設備。
壮大なプロジェクトに
入社1年目で携わることに。

史上最大級の
ベルトコンベヤ設備。
壮大なプロジェクトに
入社1年目で携わることに。

鉱山開発をルーツとする当社の製品には、古くから培ってきた技術を応用したものが数多くある。土砂や砕石などのインフラ資材を高速・大量に搬送する長距離ベルトコンベヤもそのひとつだ。近年、土砂などの搬送はダンプトラックが主役を担ってきた。しかし、労働人口の減少や交通渋滞、CO2排出などの社会課題がクローズアップされるとともに、ベルトコンベヤの価値が再認識され、活躍の場が広がっている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年が経過し、少しずつ営みが戻りつつある被災地の復興でも、当社のベルトコンベヤが活躍した。岩手県陸前高田市において震災復興事業の一環として進められた「高台移転計画」だ。これは、隣接する山を削って出た土砂・岩石を低地に盛土・かさ上げをして高台をつくり、そこに新しい街を整備しようという壮大なプロジェクト。この工事において、土砂・岩石を破砕する大型破砕設備、それらを搬送する長距離ベルトコンベヤ、そして吊橋を始めとする鋼橋という3つの当社技術が導入され、当社から多くの技術者たちが現場に立った。
2012年に入社したF.Aもそのひとりだった。小山栃木工場の技術部、ベルトコンベヤグループに所属することになったF.Aにとって、復興支援の大規模ベルトコンベヤこそが、初めて経験する製品開発だったのである。

chapter 02

何よりもスピードが重要となる、復興支援のプロジェクト。
いかに効率的な設計にできるか。

何よりも
スピードが重要となる、
復興支援のプロジェクト。
いかに効率的な
設計にできるか。

「街がない……。住民の方々はどこで生活しているのだろう」。
F.Aが初めて陸前高田市の現場に立ったのは、2013年12月のこと。すでに津波によるがれきは撤去され、目前には荒涼とした更地が広がっていた。向こうに見える海からの風が冷たい。この広大な土地に、全長3kmのベルトコンベヤ設備を構築するのがF.Aたちのミッションだ。
当時メンバーが数名というベルトコンベヤグループにとって、まさに総力を結集したプロジェクト。前年の2012年4月に入社したF.Aは、新人ながらいきなりそのど真ん中に飛び込むことになった。復興支援プロジェクトではなによりもスピードが要求される。そこで今回の設計では、現場での組立作業を簡略にするべく、主要な構成部品のユニット化を進めることになった。設計に取り組む先輩たちをサポートしながら社内外との業者・部署とのやり取りの補助を行い、F.Aは無我夢中で業務を学んでいった。サポートというポジションではあったが、やりがいは大きい。復興支援という使命に加えて、当社史上最大規模のベルトコンベヤ設備なのだ。
「いよいよ現地での組立が始まる。F.A、来月から陸前高田の現場に行ってくれ」。
設計業務が一段落した2013年秋、F.Aは上長から現場への出張を伝えられた。自分が設計に携わったベルトコンベヤが動き出す瞬間をぜひ体感してみたいと考えていたF.Aにとって、願ってもない出張だった。

chapter 03

プロジェクトが始動して3年。
自分で設計したコンベヤが動き出す。

プロジェクトが始動して3年。
自分で設計したコンベヤが
動き出す。

現場でのF.Aの業務は、組立作業の取りまとめだ。工程を管理しながら、必要な装置や部品を手配し、問題が起こればその場で解決策を考えていかなければならない。入社2年目とはいえ現場に立つ責任は重いのだ。可能な限り構成をシンプルにしたといっても、コンベヤ設備は合計19本。何か所もの分岐点を経て、総延長は約3kmに及ぶ。途中に流れる気仙川を渡すためにコンベヤ専用の吊橋も建設された。
いくつもの壁を乗り越えながら工事が進み、震災から3年目となる2014年3月11日を、F.Aは現場で迎えた。いよいよ試運転が始まるこの日、F.Aは主要装置のすぐ脇に立っていた。近くに復興のシンボルである「奇跡の一本松」が見える。F.Aは黙祷を捧げた。
ドン、ド、ド、ド、ドゥ。ベルトコンベヤが動き出した瞬間、F.Aは重々しい動作音に思わずたじろいだ。自分で設計したとはいえ、想像以上の迫力だ。じわじわと腹の底から達成感が湧き上がってきた。
そして2014年9月、すべての設置が完了し、F.Aはプロジェクトを離れることになった。その後、F.Aたちが設計したベルトコンベヤが搬送した土砂は約500万㎡(東京ドーム約4個分)。ダンプトラックだと9年かかると見込まれていた土砂搬送を、設置工事期間を含め約3年で完遂させたのである。

chapter 04

社会を支え、地域の人々に貢献する。
プロジェクトで刻んだ誇りと手応え。

社会を支え、
地域の人々に貢献する。
プロジェクトで刻んだ
誇りと手応え。

陸前高田のプロジェクトから7年が過ぎた現在、F.Aは福島県の港湾設備と福井県のダム工事の2つのプロジェクトに関わっている。さまざまな現場と設備で経験を積み、いまでは設計チームのリーダーとして後輩を率いるポジションだ。また、新しいタイプのベルトコンベヤにもチャレンジしている。最近、ドイツの企業から導入した密閉式吊下げ型コンベヤは、フレキシブルな搬送ラインが可能で騒音も少ないため、街中などにも設置できる。その視察のため、海外にも出張した。そんな忙しい日々を過ごすF.Aの胸には、いまでもあのプロジェクトが深く刻まれている。
「ベルトコンベヤは社会を支える技術であることは確かですが、地域の人々に貢献しているというあれほどの実感を得られることはめったにない。技術者としてとても幸福な経験だったと思います」。
実は陸前高田のプロジェクトを離れた後、F.Aはひとりで陸前高田の地を訪れたことがある。土砂の搬送が完了し設備の撤去も終わろうという2015年10月、どうしてもその様子を見届けたくて、休日に自分の車で出かけたのだという。自分が設計したベルトコンベヤが消え去った現地を見て寂しくはあったが、そこから新しい街が立ち上がっていく気配を感じて誇らしい気持ちになった。F.Aたちが開発設計した大規模ベルトコンベヤは撤去されたものの、今でも技術者たちの想いと誇りをそこに乗せながら、現地とこれからの日本の未来を支えていくことになるのだろう。

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