足尾銅山の隆盛期に貴賓客の接待や宿泊施設として利用され、外館は洋風、内部は和洋を用いた2階建ての迎賓館です。
足尾銅山の歴史に関わる写真や関連品、ジオラマ、鉱石など、多数展示しています。
古河掛水倶楽部・古河足尾歴史館のご利用案内およびアクセスについて。
足尾銅山は、1610年足尾の農民である治部(じぶ)と内蔵(くら)が銅鉱脈を発見し、 江戸幕府の御用銅山として開発されていきました(二人の生まれた国の名前を取って『備前楯山』と名付けられています)。 その後1877年古河市兵衛が銅山を買収、経営に着手し、当時の欧米の最先端技術・手法による鉱源開発を行った結果、1884年に本山坑で直利(富裕な鉱床)を発見することに成功し、以降急激に発展しました。 “すべては鉱山から始まった”古河機械金属にとって、原点と言える場所、それが足尾銅山です。
2024.9.3
2024.8.28
2024.4.23